みきブログ~乗り越えてきた壁は誰かの(過去の私の)力になる~

生きることが不器用すぎて、何度も何度も壁にぶち当たったけれど、それでも何とか生きている。何度も泣いて、何度も頭の中がぐちゃぐちゃになって、それでも必ず私は笑顔になれた。それは、必ず救世主がいたから。家庭のこと、学校でのこと、仕事のこと、全部綺麗ごとにはできないからこそ、ありのままを書くことで誰かの勇気とか希望とか笑顔の一粒になったらいいなと思って書いていきます。

私についてー海馬が未熟なころー

どうしても書きたかった、

伊勢へ呼ばれた物語が書けたので、

次は少し自分について振り返ってみようと思います。

 

 

人の記憶は、海馬が未完成な3歳までは長期記憶ができないとされています。

確かに、私も1歳くらいの記憶はなくて

その部分はもう憶測しかない。

母親と話をすることもなく、

私の0歳から3歳までを唯一知っている祖母も昨年亡くなってしまった。

そのころの写真も、ほぼない。

すごく不思議なんだけど、本当に、自分の赤ちゃんのころの写真がない。

 

 

私は、34年前、とある田舎にうまれた。

母子手帳によると、母親よりも10歳以上年上の父親との間に産まれたらしい。

私はその父親の顔を知らない。

見たことはあるのかもしれないけれど、私の海馬が出来上がっていなかったため、

何も記憶にはない。

おそらく、だけれど、

私が1歳になるくらいのころ、両親は離婚をしたらしい。

でもこれは憶測で、もしかしたらもっと早いのかもしれない。

 

気が付いた時には、私は母親の実家にいて、

そこでずっと大きくなった。

 

私が初めての誕生日を迎える前日、

つまり、1歳の誕生日の前の日、

骨折した。

母子手帳に記載がある)

この理由は、親や祖母に何度聞いても明確な答えが返ってこない。

 

父親は、ひどい人だったらしいので(よくわからないけど)

もしかしたら、家庭内での暴力の末に私まで被害にあったんじゃないだろうか、

とも推測したけど

真相はいまだにわからない。

とにかく、私の1歳の誕生日は骨折の治療をしていたと思われる 笑。

 

2歳、

記憶も情報も写真も皆無

2歳の私は、何をしていたんだろうね。

 

3歳、

虫垂炎で入院する

ここから記憶が存在する。

なぜか3歳のころにはすでに文字も、短い文章もかけたので

日記を時折つけていた。(絵日記ではなく、日記)

日記帳は、親戚のおじさんが買ってくれた。

虫垂炎で入院中、暇すぎた私は、隣のベッドに入院していた高校生くらいのお姉さんと仲良くなり、途中でお姉さんも日記帳に絵をかいてくれたりしていた。

魔法使いサリーのサリーちゃんの絵がめちゃくちゃうまかった。

虫垂炎で入院したはずなのに、なぜか1か月ほどの長期入院となった。

これも実はよく理由がわからなかった・・・。

 

 

このころから、記憶が出てくるのだけれど、

私が持っている記憶で一番古く、

しかも鮮明に覚えていることが一つある。

 

 

「あんたは居候なんだから」

 

といわれたこと。

 

 

だれに?

 

母親に。

 

 

 

1歳くらいで離婚したと思われる母親は、私を連れて実家へ戻っていた。

その母親が私に

「あんたは居候なんだから」といった。

 

その続きの言葉は覚えていないのだけれど、

「いそうろう」という響きが頭から今も離れない。

 

もちろん、

このころは「いそうろう」の意味なんて分からない。

でも、直感はあるので、よくない意味で私に言っている言葉だ、ということは

ニュアンスから受け取っていた。

 

 

すこし大きくなり、

居候の意味が分かったとき

何とも言えない気分になった。

 

 

私は、居候だからここにいることは正解ではない。

私はこの家族の一員ではない。

半分は、ひどい父親の遺伝子が入っているから、

私の居場所は、ここではない。

そう思った。

 

 

 

だけど、だからといって子どものころはどうすることもできず、

でも誰にも言えず、

「自分は居候だから悪い子」

「必要のない子」

だとなんとなく刷り込まれていった。

 

 

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