みきブログ~乗り越えてきた壁は誰かの(過去の私の)力になる~

生きることが不器用すぎて、何度も何度も壁にぶち当たったけれど、それでも何とか生きている。何度も泣いて、何度も頭の中がぐちゃぐちゃになって、それでも必ず私は笑顔になれた。それは、必ず救世主がいたから。家庭のこと、学校でのこと、仕事のこと、全部綺麗ごとにはできないからこそ、ありのままを書くことで誰かの勇気とか希望とか笑顔の一粒になったらいいなと思って書いていきます。

2019年、34年間を振り返る

2019年

残すところあと4日ですね。

 

34年間生きていて

今までで一番、時の感覚を失っている感じがします。

うまく言えないけれど、

そんなかんじ。

 

あ、いい意味でね。

 

 

34年、いろんなことがあったけど

その中のいくつかは

本当に誰にも話すことなく

墓場まで心にしまっておくストーリー。

 

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この世で

いろんな経験させてもらって

辛すぎて辛すぎて、痛みの感覚さえ

消えてしまったこととあったし

ただただ、時が流れるのを

ひたすら耐えることしかできなかったり時間もあった。

 

 

 

読んでくれているあなたにも

 

そんな出来事があったかもしれないし

今、まさにその時間のど真ん中かもしれない。

 

 

 

その時は、信じられないかもしれないけど

死ぬことよりも辛い経験だって

それを経験するために生まれてきている

 

 

それを経験することで

自分がここで輝く方法を知る。

 

 

 

もちろん、輝かない選択肢もあると思う

 

 

それもいい

 

 

 

輝くことが成功ではないから

 

 

 

 

 

でも、ひとつだけ伝えたい。

 

 

 

 

 

自分のことだけは

 

思い切り大事にしてほしい

 

 

幸せになってほしい

 

 

 

生きていてほしいし

 

 

 

笑っていてほしい

 

 

 

 

いつか笑ってほしい

 

 

 

 

きっと、せかいじゅうのだれもが

本当はそれを願っている

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今は笑えなくていい

 

 

 

 

 

いつか、自然に笑える日が来るから。

 

 

 

 

その日が来た時は

 

絶対にあなたと笑っていたい。

 

 

 

 

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私と娘の、17歳と2ヶ月

修学旅行の思い出はありますか?

 

 

高校2年の娘は

昨日から修学旅行へ行きました。

 


小学校の修学旅行

中学校の修学旅行

そして、今回高校の修学旅行

学校で行く修学旅行は

これが最後。

 

 

ついこの前まで

初めて出来たことばかりに目を向けていたけれど

成長すると

「最後の〇〇」も出てくる。

成長は、素晴らしい。

 

 


そして今年は、私にとっては

感慨深いことがたくさんある。

 

 

 


2ヶ月前の17歳の誕生日。

 

私は17歳で娘を産んだので

17歳の誕生日ってなんだか感慨深くて

精一杯のお祝いをした。

 


そして、17歳と2ヶ月弱

娘は最後の修学旅行中。

 


17歳と2ヶ月

実は、私が娘を産んだのは

正確には17歳と2ヶ月だった。

 

そして、高校2年の夏に中退した私は

修学旅行には行けなかった。

 

そこに特に悲しさとかは無くて

周りの友達が修学旅行に行っている時は

私は子育て中で

娘が可愛い過ぎて

修学旅行行けないことに何の感情も無かった。

 

 

北海道の修学旅行の定番は

広島や京都。

海外って高校も最近は多いけど

国内なら広島や京都が多い(多分)。

 

なので、京都に行ったことが無いと言うと

驚かれる。

「修学旅行で行かなかった???」

とよく聞かれる。

 

 

 

話は逸れるけど

最近は、学校制度なんてもう古い、とか

学校なんていっても行かなくてもいいとか

むしろ行かない方がいいとか

無駄だとか

いろんなこと言われてますよね。

 

 

私は、

小学生のころ

いじめられたこともあるし

登校拒否したりもしたし

仲よかった子が突然学校にいけなくなって、担任の先生と一緒に朝お迎えに行ったり

 

高校へ入ると

学校サボったり早退しまくってたら先生に指導室に呼ばれてセクハラされそうになったり

 

大人になってからも、職場の人の子どもが不登校の人や高校辞めたひとが割とたくさんいたりして

 

学校って何なんだろうとよく考えていた。

 

だから、

娘が中学生のころ、

自分自身で不登校や学習不振や反抗期や思春期(所謂、不良といわれるような子どもも含めての)に関していろいろ調べた。

 

 

自分自身が、思春期にいろんな経験をしたから余計になんだけど、

母子家庭だと不登校や学習不振や反抗する不良?みたいなのが多いと言われてしまう。

 

私は、若年で産んだ未婚シングルなので

どこへ行っても、結構世間の目は厳しいのはわかっているし

娘が「母子家庭だから」「あそこの親は若いからね」と絶対に言われないよう

あれこれしてきた。

 

 

また違う記事で書いて行こうと思うけど

不登校も、子どものひどい反抗期も、不良?も、

全部

母子家庭は関係ない。

母子家庭だからなるのではない。

私は未だに

家族とは父親も母親もいなければならないとは

思っていない。

 

私は、自分自身が父親の顔も知らないし

娘も、そう。

だけど、

だからといって何か人よりも劣っているとは思わないし

ハンデを感じたこともない。

 

両親ともがいなくても、かなり立派に育った人もたくさんいる。

 

素敵じゃない人なんていない。

 

で、少し話を戻すと

学校なんていらないとか

不要だって人もいるけど

「学ぶ」だけを考えるといらないのかもしれないけれど

学校は、勉強するための場所ではないと

私は思っている。

 

いろんな人がいて

いろんな大人

いろんな年下

いろんな職業があって

いろんな知識がある

いろんな楽しみがある

そんな場所が、学校。

 

 

だから、行っていいし

行きたくないときは行かなくていいし

合わないなら辞めたっていい。

 

 

そう考えたら

楽になった。

 

 

ただ、親として

学校は行っても行かなくてもいいと考えたなら

 

もし、

娘が学校を辞めたときには

他にどんな選択肢があるのか

そこはリサーチしておく。

(これは、必ずしも他の学校への編入だけではなくね)

そして、娘がそれを必要としたら

咄嗟に話をできるようにしておく。

そこから、娘が調べたりすればいい。

決して全てのレールは敷かないし、

あえて提示もしない。

 

こんなレールもあるよって

言った上で

そのレールを見に行くか、

さらに他のレールがあるか調べるか、

レールなんて見ないでただただ休息をするのか

その判断は

娘のやるべきこと。

 

 

だからこそ、

私はいろんな選択肢を考えるし

私が知らない選択肢を娘が見つけたら

それはとても嬉しいこと。

 

 

高校2年になると

進学のことをよく言われるのだけど

大学でも専門学校でも就職でもない

そんな道を娘は考えていて

私は、そんな娘の話をただただ聞いて

それもいいね!と

言うだけ。

 

 

そして娘はまた考える。

 

 

 

今は、修学旅行を思い切り楽しむ。

 

 

娘は、特定の仲良い子がいるわけではないのに

なぜかずっと修学旅行を楽しみにしていた。

 

仲いい子いないと

特に女子は

グループ決めが大変。

(女子あるある 笑)

仲良い人がいれば、その人とグループ作るけど

仲良い人いないと、余ったとこや足りないとこに振り分けされるから

趣味合わなくてとか

話し合わなくてとかで大変で、、

となりそうなんだけど

 

 

娘の場合は違うようで

 

 

仲良い人がいないから

誰と同じグループでも楽しみで

同じグループになった人の「いいとこ」をよく見つけて

「こんなにみんな楽しいグループ!」と勝手に楽しくする 笑。

 

娘のいいとこは、本当にここだと思うんだけど

人の悪口をまず言わない。

というか、悪いところが見えないんじゃないかな?

常に、自然と、

いいとこ探しをしている。

 

 

「〇〇ちゃんね、よく〇〇って言われてるらしいんだけどね、めっちゃいい子!!」って言うようなのを、よく聞く。

 

 

そんな娘でも

学校行きたくないことが(わりとよく)ある。

 

 

 

そんなときは、だいたい頭痛の症状が出る。

 

何回も病院行ったり

薬もらったりしたけど

 

 

一番の特効薬は

「行きたくないときは行かない」こと。

 

 

 

なので、よく休む 笑

 

 

 

高校なので、単位のこともあるけど

私は、それで単位が無くなってもいいと思っているし、

単位が足りなくなったときにどうするかは娘に任せている。

 

 

娘自身に、直接、

単位が足りなくなったら進級できないって話はした事はないけど

高校生だから、その辺は自分でわかっている。

なので、あえて話題にしない。

 

 

 

そんな娘だけど

修学旅行だけは楽しみで

高校入って直ぐから、修学旅行の話ばかりで

今年入ってからはずっと

「今年は修学旅行だー!」ばかり言ってた。

 

そして、いざ修学旅行。

 

私は夜勤だったので

朝起こせなかったんだけど、

ちゃんと朝3時に起きて(早すぎる)

6時に家を出て

修学旅行へ行った。

 

 

まずは広島の原爆ドームを見て

姫路城見て

宮島へ。

今日は厳島神社

娘から送られてくるたくさんの写真。

そして、今日も朝5時に起きたと、LINE。

楽しんでいるようでなにより。

 

 

 

娘が楽しんでくれていること

それが一番の私の楽しみ。

 

 

 

幸せ。

 

 

 

 

17歳と2ヶ月

もっともっと

楽しい世界を

たくさんみてほしい。

 

 

 

 

そんな、34歳と4ヶ月 笑

 

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必然2019

2019年の始まりは、祖母の死から1週間後。

 

祖母は育ての親のような存在

唯一、怒りや悲しみの感情を出せるのが祖母だった(その分迷惑もかけたけど)。

 

 

 

年末に祖母が亡くなり、

年末年始はあっという間に過ぎ去り

気がついたら2019年になっていた。

 


2019年、年は明けたものの、なんの気力も無かったんだけど

何となく本を読みたくて本屋さんへ。

私の目に飛び込んできたのは

「メモの魔力」(前田裕二さん著)

この時、本当にお金にも困っていたので

買うか買わないかかなり迷ったあげく、購入。

今思うと、ココが必然の始まり。

 

 

 

2019年初めには、娘が留学をかけた企画書作りや面接などがあったのだけど、娘は企画書をなかなか書けなくて困っていた。

このとき、メモの魔力で得たことを

娘に伝授。

すると、そこから数時間ですぐに企画書が完成した。

びっくりand感動したので、このことをTwitterに載せると

前田裕二さん本人がコメントつきのリツイートをしてくれた。

そのツイートが爆発的なインプレッションをあげる。

そして、今までほとんどいなかったフォロワーがここで一気に増えた。

 


この少し前に、私はどうしても娘と旅行に行きたくなって、資金を集めるために「polca」というクラウドファンディングをしていた。

なかなか資金は集まっていなかったのだけど、

前田裕二さんがリツイートしてくれたことを機に、私のpolcaのツイートを見てくれる人が増え

結果的に旅費が集まった。

 


てもこのときの必然は、

ただ、旅費が集まったたけではなかった。

クラウドファンディングに参加してくれた方の中に、「伊勢」にゆかりのある方が何名かいた。そして、旅行先を迷っていた私に「伊勢」勧めてくれた。

同時に、この前後には伊勢を目にしたり聞いたりすることが多くなっていた。

この時は、仕事と家しか往復していないし、テレビや雑誌もほとんどみないそんな日常だったのに伊勢ばかり目にした。

 

 

 

だから伊勢を選んだ。

 

 

 

よく考えたら、

 


「祖母の死」

「年末年始の実家への帰省」

「旅行したい」

「メモの魔力の本すごいな」

「polcaっていうクラウドファンディングがあるのね」

「きちんと使っていなかったTwitter使ってみよう」

「そもそも旅費が出せない」

まだまだあるけど、

これらどの一つの必然が抜けていても、伊勢への旅行にはたどり着かなかった。

 

 

 

 


そして、伊勢に旅行へいったからこそ

そこで、偶然同じ名前の人力車に出会い

その方の案内で猿田彦神社に出会い

娘が昔からなぜか古事記の漫画を読んでいて天の岩戸に行きたいと言ったこと

行ったことのない橿原神宮で、初めて知った奉納式て、素敵な絵と素敵な舞ーアマノウズメーに出会えた。

 

 

 

 

 

 

私は今、すてきなオンラインサロンに入っているのだけれど、

そのオンラインにどうやって辿り着いたのか

未だに思い出せない。。。

 


ブログでオンラインサロンを一番初めに知ったのだとはおもうけど、なぜ入ろうと思ったのか。

 

 

ちなみに、私は6月30日にこのオンラインサロンに入ったらしい。

 


どうして入ったかも覚えていない、、、

 

なので思い出してみる。

 

6月、何があったかな、、

 

6月半ばに東京へ出張の際に、ホテルのすぐ横が「出世の神様」の神社で、出世したかったわけではないけど、神社が好きなのでお参りしに行った。

 

同じく6月だったと思うけど、どうしても気になったセミナーがあって、飛び込んだ。安いホテルないかな?夜ご飯一緒に食べてくれる人いないかな?と思い、何を思ったかTwitterで夜ご飯一緒に食べる人を募集した。

(ちなみに、このときはTwitterにリアルの知り合いはほとんどいなかった)

すると、一度だけみんなで会食したことのある方から声がかかった。でも、直接の知り合いではないし、そもそも私のような普通の人が気軽にお食事できるような人でもなかったのでびっくりした。しかも、食事を奢ってくれた上に、自宅に泊まっていいと!

(ちなみに、今考えるとよく行ったなとおもうけど、この方、ちょっと年上の男性。でもこの時に直感で、この人のとこに泊まっても絶対安全だなと思った笑。根拠はない。そして、案の定全然問題なく、普通に真夜中までおしゃべりしただけ。)

東京の家賃は高いが、その時に泊まったのは高層マンションのかなり上の階で、びっくりするような夜景だった。田舎生まれで、人並みの私には、人生の中であんなにいい暮らしを体験できることは、もう無いんじゃないかなって思うほどだった。

 

 

 

 

 

 

そんな夢のような出来事があったあとに

オンラインサロンに入っている。

 

 

 

 

 

 

そして、そのあとに待っていたのは

娘の17歳の誕生日。

 

 

 

 


17歳で娘を産んだので、

今回の誕生日は

なんとも言えない喜びがあった。

「感謝」以外には言葉が出ないくらい。

 


みんなが祝福しているよ

みんなが生まれてきてくれて喜んでくれてるよ

そんなことを伝えたかったので

出来るだけたくさんの人から寄せ書きを集めよう!と思った。

 

 

 

けれど、

よくよく考えると(考えなくても)

私には友達がいない 笑

なので、だれから寄せ書きをもらったらいいのか困っていた。

そのとき、一番最初に寄せ書きをしてくれたのが、

オンラインサロンの主役でした。

そして、そのあと、オンラインサロンのメンバーが次々と寄せ書きに参加してくれた。

サロンメンバーかいなかったら、あの寄せ書きは実現しなかったかもしれない。

 


だけど、

この時私はまだオンラインサロンで仲良い人がいたわけではないし、

私もそんな頻繁に投稿していたわけでもない。

あ、ただ、めちゃめちゃ悩んでいたときでもあったので、オンラインサロン内で泣き言をたくさん言って、皆さんを困らせ、でもなぜかどのメンバーも優しくて、全然知らない私に声をかけてくれたりしてた。

 


なんでこのサロンの人は、こんなに他人に優しいんだろう???

 

 

 

 


あ!

 


思い出した!

 

 

 

なんでオンラインサロン入ったのか!

 

 

 

今、思い出しました。

きっとこれだ。

 

 

 

 


@LINEに登録してたから

配信をたまに見てた(この頃は、ほんとにたまに見てたくらい)んだけど

 

 

 

辛い時は吐き出してもいいよ、みたいな配信があって

このとき辛かった私は、

「消えたい」みたいなことを返信したと思う。

そしたら、「よく吐き出せたね」と、祐ちゃんから返信が来た。

 

 

 

 


数年前、、

多分、2、3年前かな。何もかも辛くなったときに

電話で、親に「死にたい」って言った。

親に言ったと、最初で最後の弱音だった。

親は、間髪入れずに「死ねば」とかえしてきた。

 

 

 

弱音を吐いても

誰も救ってくれない。

だから弱音を吐いたらだめだ。

 

 

 

辛い時、辛いと言っても何にもならないと思っていたから

 

 

 

辛いって気持ちを受け止めてくれたことが嬉しかったし

世の中に、他人の気持ちを受け止めてくれるような人がいるなんてびっくりした。

 

 

 

 

 

 

だから、サロンに入ったんだ。私。

 

 

 

 

 

 

遡って考えたら

やっぱり必然ばかり。

 

 

 

 

 

 

誕生日寄せ書きの話に戻ると、

あの時寄せ書きしてくれた人の多くが

今年になってから知り合った人。

 


伊勢旅行のクラウドファンディング中に偶然知った方の1ヶ月限定オンラインサロンメンバーになることができ、そこから広がって札幌で開催されたセミナーに娘とともに参加し、そこで娘はたくさんの夢ある大人、夢叶えた大人、会社員以外の選択をした大人と出会えたことで、娘の視野が広がっていった。

 


さらに、そのとき知り合った人が経営しているお店で、今娘はバイトをしている。

 

 

 

 


どれもこれも、

ひとつひとつか必然で

どれが欠けても今の結果にはならなかったんだけど、

娘のために引っ越しと転職をすると決めた2年前には考えられなかった世界に来れた。

それもこれも、2年半前くらいに、娘が地元ではない高校に行くことを決意したからなのだけど

そうすると、この2019年の必然は

今年だけの必然ではなくて

数年前からずっと続いていた

必然の続きだったんだ。

 

 

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2019年の物語の始まりを紐解く

2019年、どんなふうに始まったか覚えていますか?

 

 

 

今年も残るところ

 

あと◯ヶ月

 

なんてよく言うけれど、

 

 

終わりよりも始まりを手繰ることが

 

大切なこともある。

 

 

 

 

 

 

私の2019年の始まりは、

 

 

祖母の初七日の数日後。

 

 

 

 

 

いろんなことがあり

 

2018年年末は、

 

東京と北海道の往復、

 

そして広い北海道の中でも

 

実家と札幌を往復し

 

実家に帰るも泊まるところがない私はホテルに何泊して、

 

転職したばかりの仕事も、欠勤した年末。

 

 

 

お金に余裕があるはずもなく

 

お正月だというのに、

 

何も買う気にならなかった。

 

 

 

 

 

ただ、私は本が好きだ。

 

 

 

 

本屋さんは、夢の国だと、今も思う。

 

 

 

 

 

やっと、やっと、

実家から遠く離れ、

 

絶対にしばらくは帰らないと決めたのに

 

祖母が突然の体調不良、そしてすぐに亡くなったことで

 

帰らざるを得なくなり

 

何度も帰省した。

 

ただ

実家では親と話す気にもなれず

 

親戚とも話す気になれず、

 

あのときの私にできたことは、その場を可もなく不可もなく乗り切ることしかなかった。

 

 

 

 

 

そのとき私は

私は、読書を選んだ。

 

 

 

 

 

これなら、お金もさほどかけず、

 

割とどこでもできる上に

 

楽しめる。

 

 

 

 

 

そこで、地元には一つしかない大きな書店へ。

 

 

 

 

 

 

私の目に留まったのは

 

 

 

「メモの魔力」だった。

 

 

 

 

以前、メモの魔力の著者の前田裕二さんの

 

「人生の勝算」を読んだことがあったけど

 

そのときはその本を好きになれなかった。

 

 

、、、

 

 

 

今ならその理由がわかる。

 

 

 

 

それはさておき、

 

メモの魔力は違った。

 

 

 

さらさら読めてしまい、立ち読みでも十分内容が理解できるほどわかりやすいのに

 

 

なぜか

 

「買わなきゃ」と思った。

 

 

 

 

 

直感。

 

 

 

 

 

でもこの直感は、

 

後に当たっていたということになるのだけど、

 

 

 

それがわかったのは

 

半年以上経ってからだった。

 

 

 

 

2019年、あのとき

 

メモの魔力を買わなかったら

 

 

私は今の苦しみも切なさも知ることはなくて

 

もっと古く

抜け出せることのない

幸せご見えない闇のなかを彷徨っていたかもしれない。

 

 

 

 

 

本を買う。

 

誰でもできる、

 

私でもできる、

 

 

小さな小さなな一歩だった。

 

 

 

2019年、あれが無ければ

 

今はなかった。

 

 

だから、2018年の辛い出来事にも

 

感謝。

 

 

 

 

 

バタフライエフェクトとは、まさにかれかもしれない。

普通の家族に憧れたことー愛されることのないひとー

私の1番の願いは

愛されること。

 

 

 

最初、それがわかった時

「愛されたかったんだ」

「私、愛されてよかったんだ」

1人、涙が溢れた。

 

 

それは、避けてきたことでもあった。

 

 

愛されることを避けてきた。

 

 

 

私なんか、愛されるわけがない

 

愛されちゃいけない

 

愛はみせかけだけだから

 

きっと、これは偽りの愛。

 

 

 

 

そして、他の人に

存分すぎるほどに注がれる愛を見ては

 

体育座りで

涙を流してた。

 

 

 

 

 

ただ、幸せになりたいだけなのに

 

どうしてこんなにも

 

不器用なんだろう。

 

 

 

 

愛されたいの

 

愛されてる人をみて嫉妬して

 

私は愛されないって決めつけてる。

 

 

 

 

だって、私には何もない。

 

 

 

 

得意なことも、

 

 

できることも、

 

 

頑張ってきたことだって、

 

 

なにも、ない。

 

 

 

 

 

 

愛される、はずもない。

 

 

 

 

 

 

 

1人になると

 

未だに、

 

 

そう思えて

 

不安と孤独と悲しみが

 

私を包む。

 

 

 

 

 

あなたは一人じゃないよ

 

 

 

そんな言葉さえも

 

 

 

 

辛くて

 

 

 

 

泣けてくる。

 

 

 

私についてー海馬が未熟なころー

どうしても書きたかった、

伊勢へ呼ばれた物語が書けたので、

次は少し自分について振り返ってみようと思います。

 

 

人の記憶は、海馬が未完成な3歳までは長期記憶ができないとされています。

確かに、私も1歳くらいの記憶はなくて

その部分はもう憶測しかない。

母親と話をすることもなく、

私の0歳から3歳までを唯一知っている祖母も昨年亡くなってしまった。

そのころの写真も、ほぼない。

すごく不思議なんだけど、本当に、自分の赤ちゃんのころの写真がない。

 

 

私は、34年前、とある田舎にうまれた。

母子手帳によると、母親よりも10歳以上年上の父親との間に産まれたらしい。

私はその父親の顔を知らない。

見たことはあるのかもしれないけれど、私の海馬が出来上がっていなかったため、

何も記憶にはない。

おそらく、だけれど、

私が1歳になるくらいのころ、両親は離婚をしたらしい。

でもこれは憶測で、もしかしたらもっと早いのかもしれない。

 

気が付いた時には、私は母親の実家にいて、

そこでずっと大きくなった。

 

私が初めての誕生日を迎える前日、

つまり、1歳の誕生日の前の日、

骨折した。

母子手帳に記載がある)

この理由は、親や祖母に何度聞いても明確な答えが返ってこない。

 

父親は、ひどい人だったらしいので(よくわからないけど)

もしかしたら、家庭内での暴力の末に私まで被害にあったんじゃないだろうか、

とも推測したけど

真相はいまだにわからない。

とにかく、私の1歳の誕生日は骨折の治療をしていたと思われる 笑。

 

2歳、

記憶も情報も写真も皆無

2歳の私は、何をしていたんだろうね。

 

3歳、

虫垂炎で入院する

ここから記憶が存在する。

なぜか3歳のころにはすでに文字も、短い文章もかけたので

日記を時折つけていた。(絵日記ではなく、日記)

日記帳は、親戚のおじさんが買ってくれた。

虫垂炎で入院中、暇すぎた私は、隣のベッドに入院していた高校生くらいのお姉さんと仲良くなり、途中でお姉さんも日記帳に絵をかいてくれたりしていた。

魔法使いサリーのサリーちゃんの絵がめちゃくちゃうまかった。

虫垂炎で入院したはずなのに、なぜか1か月ほどの長期入院となった。

これも実はよく理由がわからなかった・・・。

 

 

このころから、記憶が出てくるのだけれど、

私が持っている記憶で一番古く、

しかも鮮明に覚えていることが一つある。

 

 

「あんたは居候なんだから」

 

といわれたこと。

 

 

だれに?

 

母親に。

 

 

 

1歳くらいで離婚したと思われる母親は、私を連れて実家へ戻っていた。

その母親が私に

「あんたは居候なんだから」といった。

 

その続きの言葉は覚えていないのだけれど、

「いそうろう」という響きが頭から今も離れない。

 

もちろん、

このころは「いそうろう」の意味なんて分からない。

でも、直感はあるので、よくない意味で私に言っている言葉だ、ということは

ニュアンスから受け取っていた。

 

 

すこし大きくなり、

居候の意味が分かったとき

何とも言えない気分になった。

 

 

私は、居候だからここにいることは正解ではない。

私はこの家族の一員ではない。

半分は、ひどい父親の遺伝子が入っているから、

私の居場所は、ここではない。

そう思った。

 

 

 

だけど、だからといって子どものころはどうすることもできず、

でも誰にも言えず、

「自分は居候だから悪い子」

「必要のない子」

だとなんとなく刷り込まれていった。

 

 

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アマノウズメに出会う-なぜアマノウズメに見えたのか-

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伊勢に導かれ、

伊勢も知らないのに伊勢へ行き、

神さまのこと知らないのに導かれた、

そんな私。

(今までのお話をご覧いただける方はこちらから順にお読みいただけると、とっても嬉しいです!↓)

シンクロニシティで、伊勢神宮と出会う、その一歩手前 - みきブログ~乗り越えてきた壁は誰かの(過去の私の)力になる~

 

なのに、

 

なぜ、私が

導かれた橿原神宮

eri kooさんを見たときに

アマノウズメが見えたのか

 

ずっとずっと

不思議でした。

 

 

前日に、天の岩戸へ行ったとはいえ

私はアマノウズメについて

何も知らない。

 

 

それなのに、eri kooさんに会ったときに

直感だけで

アマノウズメだ、、、と思った。

 

 

ずっと、不思議でした。

 

 

 

今回、このブログを書いていくにあたり

eri kooさんに連絡を取りました。

 

 

 

そうして、

あのとき、アマノウズメに見えたことを

率直に、拙い言葉で

伝えました。

 

 

 

すると、

 

 

なんと、

 

 

 

eri kooさんからのお返事は、

 

 

びっくりするものでした。

 

 

 

eri kooさんからのお返事には、

このようなことが書かれていました。

 

 

 

 

 

橿原神宮奉納式の前日

伊勢からずっと離れたところへ

アマノウズメに会いに行って

そこでいろんなことを受け取りました」

 

 

 

そして、その翌日だったのです。

私が見た奉納式での舞は、アマノウズメからいろんなことを受け取った翌日のeri kooさんだったのです。

 

 

 

 

 

だから

 

私はあのとき

 

 

アマノウズメだ、、、と

 

直感的に思った。

 

 

 

 

納得でした。

 

 

 

 

私が見たのは

 

間違いなく、アマノウズメだったのです。

 

 

 

 

 

神さまは、いる。

 

 

 

 

 

だから誰一人として

ひとりぼっちの人なんていない。

 

 

 

 

 

「伊勢」と「虹」のシンクロニシティから

私は、アマノウズメに出会うことができた。

 

 

 

 

 

ひとりぼっちでは、ない。

 

 

 

 

 

 

そこにあるのは、感謝でした。

 

 

 

 

そして、この出会いは、

ここに終わらなかった。

 

 

 

 

 

この物語は、

 

奇跡でも偶然でもなく

 

 

必然の始まりだったのです。

 

 

 

 

 

 

 

ただ、この時は

 

いや、未熟ながら、この先しばらく

 

 

 

そんなことに気がつかなかったのです。

 

 

 

 

 

そんな未熟な私を見捨てなかった

そんな物語が

この後、続いていくのでした。

 

 

 

 

 

 

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