みきブログ~乗り越えてきた壁は誰かの(過去の私の)力になる~

生きることが不器用すぎて、何度も何度も壁にぶち当たったけれど、それでも何とか生きている。何度も泣いて、何度も頭の中がぐちゃぐちゃになって、それでも必ず私は笑顔になれた。それは、必ず救世主がいたから。家庭のこと、学校でのこと、仕事のこと、全部綺麗ごとにはできないからこそ、ありのままを書くことで誰かの勇気とか希望とか笑顔の一粒になったらいいなと思って書いていきます。

シンクロニシティで、伊勢神宮と出会う、その一歩手前

シンクロニシティって、信じますか?

 

 

このブログは、私の人生を振り返る、

はずでしたが、

インスピレーションによって、過去から現在ではなくて

現在から過去にさかのぼっていく、かもしれません。

 

 

伊勢神宮との出会いは、突然やってきました。

 

実は今まで、伊勢神宮に行こうと思ったことがなくて、

伊勢神宮に行くと決めてから、初めて

伊勢って三重なんだ!?と知ったくらい。

 

そんな私が、なぜ伊勢神宮に行ったのか。

 

それは、シンクロニシティが私に何かを伝えていたから、かなと思います。

 

 

 

さかのぼること、約1年前

 

私の祖母が余命2か月であると告げられました。

 

突然でした。

 

70歳を過ぎても働き続け、腰もさほど曲がらず、大きな病気もほとんどしたことがなかった。

入れ歯さえもなく、自分の歯でなんでも食べていました。

雪かきも、同居している50代の娘(私の母)の面倒さえも見ていた、そんな祖母でした。

 

私の母は(のちのブログに詳しく書こうとは思っていますが)

本当に何にもしない母で

洗濯も掃除も娘(=私)の育児もせず、ただ働く人でした。

趣味はパチンコで、ほんとうにたまにしかない休みの日には、

パチンコに行く。

そんな母親だったので、私は母親と面と向かって話をしたことも、

旅行もしたことがないし、

ご飯をつくってもらったことさえ、数えるくらいしかなかったかもしれない。

なので、私はほとんど祖母に育てられていました。

 

 

その祖母が亡くなるとき、母親は祖母の面倒をびっくりするくらいみていた。

それを見たとき、私は本当に嫌悪感に包まれた。

 

私の母親は、DV気質というか、

暴言が激しくて

祖母への暴言もひどかった。

祖母が、母親(要は、娘からの)DVに耐えているのは明らかだった。

それを、赤ちゃんのころから見ていたから、

今更祖母にやさしくする姿は、私から見ると嫌悪感しかなかった。

 

 

死ぬかもしれないってなってから、かいがいしく面倒見ないでよ。

50年以上迷惑かけてきたのに、

死ぬかもしれないってなったとたん、優しくするなら

もっと最初から優しくしておいてよ。

今更、なんなの・・・

正直、そう思ってしまった。

 

 

 

祖母は、私の母親のような存在だった。

でも、母親がそんな態度をとっているせいもあって

私は近づけなくなってしまった。

これが、親子というものなのだろうか。

複雑な心境だった。

私は、その心境に耐えられなかった。

何度も何度も自分の皮膚や頭を掻きむしり、嫌悪感を和らげようとしたけど

強くなる一方だった。

でも、祖母は一秒一秒、命を削っていっているのはわかった。

祖母が頑張っているこの場で、親とけんかをするわけにはいかない。

母が祖母にしたいことをさせてあげるのを、邪魔してはいけない。

私はここにいてはいけない。

そう思った。

 

 

転職をしたばかりで、休みをとるのも申し訳なかったし、

危篤といっても、いつなくなるかわからないから

とりあえず数日間の休みを取ったところだった。

私は、有休を使い果たしてしまったら、生活存続の危機ですらあった。

一日でも、一秒でも長く祖母の近くにいられたら、と思って帰省したが

そこにいること自体がもう、心の限界を超えていた。

相談する人は、もちろんいなかった。

どうしていいかわからず、でもこんなときに、周りには絶対に迷惑をかけたくない。

 

 

私は、祖母が頑張っている間、

帰省先のホテルに泊まることにした。

 

 

私の母と、祖母の邪魔をしてはいけない。

 

 

そう思った。

 

 

 

 

ギリギリのところで、息を引き取る少し前には、

祖母のところに帰るつもりだった。

 

 

 

 

ホテルで、何をしていたのか

はっきり言って覚えていない。

 

 

ぐちゃぐちゃになる感情を、一人で必死に整えていた。

 

 

 

そんなとき、スマホに着信があった。

 

 

 

祖母が、息を引き取りそうという連絡だった。

 

 

 

ホテルから、実家までは車で10分程度。

ぜったいに間に合うと思った。

 

 

実家まであと1,2分というところで

前の車のナンバーが目に留まった

 

「444」

次の車のナンバーが

「571」

 

忘れもしない。

 

 

あ、いま、息を引き取ったな・・・そう感じた。

 

「444」は、おそらく、死を意味していた。

 

「571」は、「来ない」

 

私は、間に合わなかった。

 

それがわかった。

 

 

案の定、実家へ入ると

「つい、さっきまで息をしていたんだけど・・・」と

叔母から聞かされた。

 

 

 

母親はなにも言わなかった。