不器用なままの34年間を届けたい
あなたは、いま、幸せですか?
自分自身を大切に大切に愛せていますか?
1年前の、
いや、1か月前の私であっても、
「幸せです」「自分を大切にしています」と答えていたと思います。
本当は、全然幸せを感じられていなくて、自分自身を大切にもできていなかったのに。
どうして
幸せを感じられてないのに、幸せですって答えていたかというと、
ずばり、「自分自身への(周囲に対する)見栄」=「自分自身を、理想の自分像へ近づけたかったから」です。
実は、ブログを書くのはこれが初めてではなくて
何度か書いたことがあります
でも、いつも、どうしても、
「自分が幸せそうにしているる姿」を美化して書いていました。
私は、今まで自分の人生をどこか美化するために
「こんな人生だけど、私なりに幸せ」
「自分のことはもちろん大切にしてる」
そんなことを、ブログにも、個人のSNSに載せてきました。
「辛い経験」さえも、どこかでそれを美化して、「辛かったけど、今は幸せ(本当は幸せじゃないのに)」としていた。
「こんなこともあったけど、今は幸せだよ。
乗り越えたよ、もう大丈夫、私は強い。」
そんな風にブログに書くことで、
理想の自分像に近づけていたのかもしれません。
理想像になりたくて、必死だった。
でも、ブログを書くほどに
むしろ、周りとさらに比較してしまい、
「あの人はこんな短期間でこんなに成長している、変われてる、実績をあげている。なのに私は・・・」と自己嫌悪になり、
さらに、「私ももっと素敵にならなくちゃ!」とブログを書いて
成長した気になっていたけど、全然成長できなくて
「みんな」がするように自分を成長させることができなかった。
そして自己嫌悪のエンドレスリピート・・・。
でもやっと、自分が何をしたかったのか
どうなりたかったのか、何が欲しかったのか、、、
その姿がわかりました。
その姿は、とても単純なもので、
よくよく考えてみれば、昔から夢見てたことだったのに、
大人である、母であるという「思考」に縛られて
ブロックされていたことでした。
今振り返ってみると、
ときおり、「本当の自分が欲しかったもの」は姿を見せていたにも関わらず
みて、見ないふり。
そうすると、「本当の自分が欲しかったもの」は不器用な私と同じように、不器用な姿になって私の前に現れた。
「不器用な姿になったもの」が本物だと思い込み、自分を輝かせるどころか、つぶしていった。
ただ、これも、
当時は本当に消えてしまいたいくらい辛い出来事だったのだけれど
今考えると、きっとこれから出会う「ほんとに欲しかったもの」を輝かせるために、「本物」を知るために
あった出来事だなって、
やっと、やっと、やっと思えたのです。
よくあるサクセスストーリーみたいに、
器用に生きたり、
「偶然のチャンスを生かして成功した話」とかではないけれど
だからこそ、届けたい。
だからこそ、届けられる物語があると思って書いていきます。
読みにくかったり、
更新が不定期だったり、
もしかしたら不快にさせてしまう部分もあるかもしれません。
もし不快に感じたら、それ以上読み進めないでください。
そっと閉じてください。
届く人に、届いたらいいなという気持ちで書いていきます。